急な体調不良の中、
たどりついた上野恩賜公園は紅葉まっさかりだった。
ああ東京にも空はあるって、
こういう時 本当にうれしく思えて。
そんなことたくさん考えながら、
きれいな紅葉やおいしいケーキを味わいきれずに、
ひたすら胃痛にもだえていた私。
ハーブティーだけは最高においしかった。
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ゴーギャンがタヒチへ向かった意味、それまでのゴッホとの時間。
それらを初めて知った私は、
美術館の中でずっと泣いてた。
水色や緑を使うゴッホが、
赤や橙を使うゴーギャンと出逢って、
一緒に住もうとした家はひまわりの黄色で、
ゴーギャンのためにひまわりをたくさん描いて飾ったっていう。
その時間のふたりの気持ちを考えただけで、私は胸がいっぱいだった。
今回のメイン、なのかな。
「ゴーギャンの椅子」は本当にかわいらしくて。
ゴッホ的な緑と水色の世界の真ん中に、黄色い灯りがともってる。
そんな幸せを描いてるゴッホを想像したら本当にかわいく思えてしまったよ。
「ゴッホの椅子を」対比的に簡素にしてしまえる。
それも幸せなことと思った。
ゴッホは悲しみもそのまま絵にして向き合う事で自分をなぐさめてて。
ゴーギャンは空想も描いていたけれど、それは現実を受け止めているからこそ、目の前を空想で塗りたくることができたというか。
だからこそゴッホにそれを教えてあげたかったのかなって…
ふたりが離れて、それぞれの作風に戻っていく。そこにはふたりの時間を経てこその作品もあって。
ただゴーギャンの描くひまわりはあまりにも哀しくて。
その哀しみのような黄色を大きくメインにとるのが、ゴーギャンらしい哀しみとの向き合い方だなと思った。
ゴッホになりたいわけじゃないし、むしろ相容れない部分をいくつも持っていた人だったけれど。
それでもゴッホに向き合いたくて。
きっともっとゴッホの目になれるような原風景的な場所、それがゴーギャンにとってのタヒチだったのかな、と。
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普段 物販はポストカードしか買わないのに、
今回はクリアファイルとキーホルダーまで買った。
ポムポムプッホと、
ポムポムプーギャン。
かわいすぎて、ふたりの絵の哀しみを救ってくれるみたいだった。
後日 SoupStockTokyoで、
ふたりのスープも食べてきたし。
週替わりで発売してたゴッホの麦畑スープと、ゴーギャンの麦畑スープ。
11月最後の5日間だけは、ふたつのスープが出逢うっていう…
ちょっとまた泣いてしまうストーリー。
ゴッホのスープはあっさりだけどいつまでも食べられる深い味わい、
ゴーギャンのスープはクリーミーすぎてちょっとくどいけど、後引く味。
相乗効果でふたつともおいしかった。
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これをオフィシャルでやる気概。
でも本当に救われた。
ポムポムプッホといい、こういうのがなかったら、私は哀しくて帰ってこられなかったよ。