『The quiet girl』

賭け事と安酒。

延々と流れてる時代劇。

 

私が今でも思い出したくない

父親の記憶は、

わかりやすくだめな男像ばかり。

 

じゃあ彼は初めから

だめ親父だったかと言えば、

そうではなく。

 

貧困の連鎖、

進んでいく身体障がい。

仕事がなくなって、

お金がなくなって、

結果 発想も貧困になって。

 

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何があってそうなったか。

大事なのはそれ。

 

どうすればそれを ほどけるか。

そもそも ほどこうという発想に

至らせることができるか。

(自分でも他人でも)

 

言い訳ではなく、

悲観的にもならず、

ただの経緯として。

 

事実をありのまま捉え、伝える力を

今、私は養いたい。

 

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「俺には時間がない」

幼い頃からさんざん聞かされた。

その言葉通り、

彼は50すぎには廃人のようになり、

私も彼を見捨てた。

 

9年間逢わず、

一瞬のやむを得ない再会を経て、

あっという間に人生を終えてった。

60すぎ。

 

同性の子供として、

私は歳をとるのが怖い。

怖いというか、わからない。

 

わからないから、

自分の性別もわからなくなるような

人生を送っていたら、

あっという間にあの歳が

近づいてきてしまった。

 

記憶の中の親の歳を超えてしまう時、

子供はどうそれを

乗り越えていけばいいんだろうか。

 

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申し訳程度にネタバレ

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『コット、はじめての夏』

 

アイルランドの映画は、

家庭を理想化しないんだと。

だから厳しく冷たいシーンも多いと。

それは後から知ったんだけど。

 

それでは日本的な感動を呼ばないから、

ひと夏 素敵な体験をしたかのように

過剰に装った宣伝をしたんだろうな。

(邦題が原題とかけ離れてる映画は、

やっぱり注意。)

 

主人公は9歳の少女。

愛情を知らずに育ち、

それゆえ沈黙しがちな子。

(原題:The quiet girl)

 

夏休みの間、彼女は

親戚夫婦の家に預けられる。

夫婦の不器用な愛情を受けて、

彼女は本来の無垢な子供らしさを

取り戻していく。

 

……のだけど。

 

結局 主人公も

主人公がお世話になった親戚夫婦も、

一生懸命 今を生きてるのに

人生はつらいよね、で。

 

元凶になってる父親に

なにか変化の兆しや、

働きかけがあるわけでもなく、

これが現実、で終わってしまう。

 

ドキュメンタリー的に捉えるなら、

意義はあるのかもしれないけれど。

物語としての美しさは、

今の私にはあまり感じられなかった。

 

少なくとも当事者からしたら、

痛みを想起させられるだけで、

なんの力にもならなくて。

 

せめて主人公が見た夏の景色が

もっときらきらしてて。

これから生きてく力を養えたと、

暗示させてくれるような

シーンがあったらよかったなと。

 

そう思いました。

 

ただこの映画の主役は、

夫婦でもあるんだろうな。

歳を重ねても、

乗り越えられない現実はあって。

 

少女と一緒に夫婦もその現実に

向き合った夏だったんだな。

 

そう思えたらまた、

違った見方は出来るのかもしれない。

 

なんにしてもあの邦題は

違うと思う…。

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ネタバレおわり

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先日の早く歳をとりたい願望は、

一方で歳をとる不安から

きている面もあり。

 

ここまで自分なりには

必死に生きてきた。

結果なんにもならなかったけど。

でもきっと何かにはなってるって、

信じてあげるしかないじゃんよ。

 

残った希望を大切に育てて、

無様にでも生きていく覚悟。

覚悟決めないとね。

 

はー、でもまだ覚悟が

足りぬようだな。

そうこうもがいているうちに、

自然に人は歳を

とっていけるのだろうか。ああ。

 

今日もおじいさんくま達は、

私の目になってくれた。

1人で歩くより、全然怖くないや。

ありがとうだね