「瞳をとじて」

早くおじいさんになりたいと
ずっと思ってた。
たぶん今でも。

もう誰かに期待されたくないし、
自分に期待することにも
疲れてしまったし。

なにかに動じる自分にも
早く決着をつけて、
終わっていく人生だけ
歩みたいと思ってた。

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暗闇のような若さから
20年経った。
それが長い短いとか速い遅いとかは、
今はどうでもいい。

歳を重ねてよかったことは、
時の流れは味方なんだと
当たり前にわかったこと。

記憶はうすれていく。
楽しかったことも忘れてしまうから、
それは時に悲しく思えてしまう。

けれど痛みも苦しみも
等しく忘れていくし、
時の前でだけ人は平等だから。

忘れることはただ忘れること。
悲しみとかは、そこにはなくて。

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つらかった。
確かにつらかった。悲しかった。
生きていけないねと
何度も思った。

だけど時は私を癒していったし、
痛みも苦しみも
和らげてくれたから。

私はもっと早く
歳をとりたかった。

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(ネタバレのようなもの)
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瞳をとじて

映画の中の映画「別れのまなざし」で
主人公を演じた俳優フリオは、
映画が完成しないまま、
ある日 失踪してしまう。

精神的に不安定な部分のある彼は、
老いることが上手く出来ずにいて。

だから自らの意志で
消えたかったのだろうと、
彼は希望を叶えたのだろうと
ずっと思われていて。

だけど物語の後半。
彼は海辺の高齢者施設で、
記憶喪失で発見される。

そこからは彼の娘や
主人公である映画監督やが、
彼の記憶を求めて、
動き出すのだけれど。

彼は自ら消えた後に
どこかで記憶喪失になったのか、
それとも、
記憶喪失になったから
どこかへ消えてしまったのか。

物語の中では最後まで
それが語られることはなく。

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(ネタバレ終わり)
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記憶、キオク、きおく。

若い頃の私には、
記憶のほとんどが足枷で。
だから楽しいこと明るいことで、
それらを塗り替えようと
ずっと当たり前にやってきた。

音楽、アイドル、踊ること。
おしゃれな服、おしゃれな店。
食べ物、景色、シナモン、くま。

全部大好きだった。

だけど記憶に記憶を重ねても、
痛みから自由にはなれなかった。

ただひとつ。
忘れていくことだけが
私を自由にしていったと思う。

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楽しいことも忘れてしまうなら、
新しく楽しいことを。

楽しいことたくさん作っていけたら、
楽しいままに人生は
終わるんじゃないかと。

だけどやっぱりそれは大変で、
まだ何十年も続ける自信はなくて。

だから私は今も
早くおじいさんになりたいと
まだ思ってる。

その発想自体が若さ。
そうかもしれないけどね。

おじいさんのくま達は、
私より先に初老を生きてる。
それでいつも
少し怖くないって気持ちになれる。
ありがとうだね。