逃げ去る恋

7月からずっと観てたフランソワ・トリュフォー監督のアントワーヌ・ドワネル シリーズ、

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最終作『逃げ去る恋』を観て、今の気持ちを。

 

あぁ思えば私、いろいろな女の人にぎりぎりのところで生かされてきたなと。


女性に対してトラウマが強く、それ以上に父性が欠落している自覚が強く、そちらが人生の主題だったので、
恋愛の意味ではまともに女性と向き合えることもなく、ひとりぼっちと思い込んできたけれど。

 

ドワネルは恋愛関係の女性に、母も妻も妹もその他いろんな役割を求め続ける。
求め続けるから、得られないことがわかる度、失望したり絶望したり、
そして同時に違う女性を求める。
世間的には浮気と呼ばれる行為、
でもなぜか映画の中の女性が一瞬でも許容してしまったりするのは、
ドワネルのそれを根底で理解してしまってるからだと思うのだけど。

 

母親の愛を満足に受けてない、求めても得られなかった記憶がある男の子は、女性に対して想いや欲を持ちつつも、どこか冷静で。
当たり前に幸せな感覚も受け入れられなくて、永遠や無償が得られないならばと自分からすりぬけていこうとしたり。

 

でも本当は甘えたいし、愛したいんだよね。
だから妹でも娘でも母でも妻でも全部であってほしくて。

 

私の話。
人に好意を持ったり持たれたりする度、その感情と向き合えずに、
求められた役割だけを演じて、演じきれなくなったら縁をたやしてきた。
それが20代の大半だったのだけれど。

 

自分の人生が自分のものだとわかったのは30近くになってからだったし、
だから今まだ自分の人生を自分で引き受けきれてないわけだけど。

 

ドワネルに出逢って、自分をまた知れた気がする。
父性の欠落は父自体がなくなったことで一旦おわったけれど、本当はずっと母性も欠けてたんだろ。
満たされたいと願う気持ちすら、全然気づけなくなってた。

 

だから本当はもっと自由でいてよかったんだって、今。
ずっと演じてきたいろんな人の役割を少しぬぎすてて、人を求める自分を受け入れて。
つとめて好きに振舞って、逢いたい人と逢えばいいよ。
あともう少しだけ、自分かっこいいとか思ったらいい。

 

ジャン=ピエール・レオがドワネルを演じたのは、14歳〜34歳の時。
私の14歳といえば、女性へのトラウマが始まった時期。


そして私はまもなく34歳。

巡り合わせってあるもんだなと。
ただの憧れで観始めたヌーヴェルヴァーグ特集上映が、こんなきっかけになるとはね。
出逢いに感謝しつつ、今は『逃げ去る恋』のサントラとかあれば聴きたいな、とか。

 

写真は1作目『大人は判ってくれない』パンフ

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5作目『逃げ去る恋』DVD

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書籍「映画で歩くパリ」よりモンマルトルのページ

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友達が貸してくれたパリの景色たくさんの素敵な洋書

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大人は判ってくれない』のイメージで。顔がまあるいけど。

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