(最後にいいこと風)
突然ヨガとか言い始めたのは、
姿勢がひどすぎるとか
心身の不調がとか
自分のためも大きいけど、
一方で母のために何かを
という思いもあって。
距離が空いていた数年の間に、
母は急速にふけこんでしまった。
顔はまだ若くかわいらしいのに、
背中が異様に曲がってしまって…。
姿勢のせいで出来ないことも
多くなってしまった。
そんな状態が
心身に影響を与えないわけがなく。
気づいた時には内臓が圧迫され、
外科通いが欠かせなくなっていた。
外出の疲れを訴えるようになったのも、
このせいが大きいんだと思ってる。
親の背が縮んで悲しくなるとか、
そういう類の話ではなく。
それはもう異様な曲がり方で、
一時はそばにいるだけでも
つらくて仕方なかった。
何も持たない私に
してあげられることは少ない。
だけどとにかく出来そうなことを
元気に学び、
それを母にも還元できたら
何かいい影響になるんじゃないかと。
そう思えるようになった。
ついでに。
私と一緒に踊ってくれるような人達が、
私と共に年齢を重ねて、
いずれなにかしらの不調で
踊るのがつらくなってきた時。
私がなにかしら汎用性の高い
知識や技術を持っていたら、
一緒に体を動かすことを
やめずにいられるんじゃないかと。
そんな風にも思ったりして。
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それでとりあえず
始めてみたのだけど。
本当にしんどい。むり。つらすぎ。
体が異様にかたいだけじゃなく、
腰痛、伴って手脚のしびれ、
仙骨の古傷など…。
慣れた人ならなんでもないであろう事も
いちいち壁になり、
やるほどに人生にも向き合わされ、
心身ともに毎回疲弊してしまう。
ただ。
この向き合い自体が、
贅沢で貴重な時間に思えてもいたり。
疲弊はひどいけれど、
それでマイナスな気持ちに
なったこともなく、
達成感は謎にすごい。
なにより出逢う方達が、
とても磨かれた顔をしていて。
こんな風になれたらいいよねって
初めて思えたりもした。
人生でこんなことなかったよね…。
なかったようなことなら、
少し信じてみたい気にもなった。
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写真は、
おじいさんなくま達と
なかよし3連プリン。
かわいすぎる。平和すぎる。
店主の方が素敵すぎて、
ぜひお邪魔したかったお店。
店内は意外にも
さわやかでおだやかで、
過ごしやすくて
いつまでも居たい気持ちだった。
こんなお店には
そうそう出逢えないだろうな。
森のカフェ探訪も
そろそろおしまいかな。
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私も早く歳を取りたいし、
世間にも諦められたいという気持ちは
今も変わらないけれど。
元気に動けるうちは、
体がより元気になることを
してあげたい気持ちにはなった。
心が歳を重ねて、深みを増しても、
体を老けこませる必要はないよねって。
何か急に自分の可能性を見つけた時に、
体が追いつかないからと
諦めるのは悲しいことだよねって。
めんどくさい自分に
もう本当につかれているけれど。
めんどくささにも真摯に
向き合い続けていたら、
意外と今よりは楽しく明るく
年齢を重ねられるのかもしれない。
もう他人はどうでもいいんだし。
自分に、自分だけに
期待してあげようね。
(あと、くまにも期待。)